「目が見えなくなる恐怖」と「小さな勇気」

吉田

富田さん
もともと健康に生まれたのですが、小学1年生のときに目に異変を感じて病気と付き合う人生が始まりました。左目は完全に失明し、義眼が入っています。右目も同じ病気で今も進行中です。

吉田
突然の変化に大きな戸惑いもありましたか?

富田さん
もちろん。でも、小学4年生のときに両目がほとんど見えない状態になっても、友達が給食を食べさせてくれたり、ノートの字を太く書いてくれたりと、本当に助けられました。ただ、勉強についていけず、小学5年生の一年間だけ盲学校に通いました。

吉田
その後、地元の小学校に戻られてからの生活はいかがでしたか?

富田さん
戻ってすぐに、いじめが始まりました。周囲の子どもたちと違うということが理由だったんだと思います。それ以来「目はコンプレックスだ」と強く思い込むようになってしまいました。
“かわいい”って思えた日、義眼がくれた自信


吉田
目を隠して生活されていた時期も長かったのでしょうか?

富田さん
20歳を過ぎてもずっと前髪で左目を隠して生活していました。人と目を合わせられないし、抹茶ラテが好きでも、見えないから注文できなくて「いつものアイスティーで」って言って我慢したり…。見えないふりも、見えるふりも、どちらもしんどかったです。

吉田
そうした中で、大きなきっかけになったのが義眼との出会いだったとお聞きしています。

富田さん
そうです。26歳のときに病院で「もっと可愛くなりたいって思わない?」って言われたんです。そのとき私は「いえ、結構です」って返しましたが、母が勝手に「お願いします」って。親子喧嘩になりましたが説明を聞いて、目をくり抜かずに今ある目の上から被せるカプセル型で装着するタイプとわかって、試してみたらすごく自然で驚きました。母が「かわいい!」って言ってくれて、自分でも鏡を見て「私、かわいいかも」って思えたんです。

吉田
義眼に出会い、これまで抱えてこられた思いが少しずつ和らいでいったのでしょうか?

富田さん
はい。見た目が整ったこと以上に、自分に自信を持てるようになったのが大きかったです。
太鼓と生きる


吉田
和太鼓を始めたのはいつからですか?

富田さん
4歳からです。現在は師範として教えたり演奏活動をしています。和太鼓の段位を重ねて、2018年26歳で師範の資格を取りました。

吉田
指導法にも審査があるんですね!

富田さん
自分が演奏できるだけじゃなく、人に教える力も求められます。試験で教える様子を見られて、先生からOKが出たら師範になれます。

吉田
そしてパリコレにもご出演されたのでしょうか?

富田さん
はい。もともと東京パラリンピックの開会式で和太鼓を演奏した経験があって、そこから「もっと世界で演奏したい」と思うようになりました。言葉が通じなくても太鼓の音でつながれる。それが太鼓の一番の魅力だと思っています。

パリコレのランウェイを太鼓と歩く

吉田
パリコレでは、どんなパフォーマンスをされたのですか?

富田さん
太鼓を担いでランウェイを歩きながら演奏しました。視覚障害があるとどこを歩いてるのかが分かりにくい。でも太鼓の音で「今ここにいるよ」って伝えることができるんです。衣装の雰囲気も音で表現してみたいと思っていたので、それが実現したとき感無量でした。


吉田
世界でも唯一無二の表現でしたね!

富田さん
本当に。視覚障害があるからこそできることもあると思っています。太鼓+ファッションという新しい挑戦にもつなげていきたいです。
着ることでつながる、聴くことで伝わる私の挑戦

吉田
最近はアパレルも始められたのですか?

富田さん
はい。太鼓を習えない遠方の方や「あきちゃんを応援したい」って言ってくださる方がいて。何かグッズ的なものをと考えて裏起毛のトレーナーやジャケットなどを作りました。肌触りにもこだわっています。

吉田
触覚って視覚障害がある方にとって、とても大切ですよね。

富田さん
そうなんです。だから手触りのいいものを選びました。多くの方に届けられたらと思っています。

吉田
講演も各地でされていると伺いました。

富田さん
「片目で見る世界」というテーマで講演しています。視覚障害の経験から、いじめ、挑戦する理由、和太鼓のことまで、色々お話させていただいています。小中高の学校や企業、行政など幅広くご依頼いただいています。


吉田
まさに“伝える”ことで社会が変わっていきますね!

富田さん
伝えるってすごく大事です。私も自分から発信しなかったから周囲は気づけなかった。でも伝えることで助けてもらえるし、理解してもらえる。共存のためには「知ること」「伝えること」両方が必要だと思います。
共存という未来、違いを力に変えるために

吉田
最後に、より良い社会にするために大切だと思うことは何ですか?

富田さん
やっぱり“共存”だと思います。当事者も発信する、受け取る側も理解しようとする。その中で「思いやり」や「違いを認める力」が必要だなと。すべての人が違って当たり前。そこを前提に、多くの人々がつながっていけたらいいなと思います。
まとめ
いじめやコンプレックスを乗り越え、和太鼓と出会い“音”を通して世界を広げていきました。義眼との出会いは見た目だけでなく自信となり、今では多くの人に笑顔と感動を届ける存在となっています。 富田さんが奏でるその音は、ただのリズムではなく、「私はここにいる」というメッセージそのもの。“見えないけれど、確かに感じる”もの。それが富田さんの「心の瞳で見る世界」なのでしょう。